プロフィール
「平和こそ」の父の思いを受け継いで
私の父は戦前生まれの頑固で寡黙な人で、戦時中の話をすることはほとんどありませんでした。そんなお父さんが、ベトナム戦争のニュースがテレビで流れた時、「田んぼで草取りの手伝いをしていたら、米軍機の機銃掃討を浴びせられ、土手の陰に隠れて命拾いをした。あんな思いは二度としたくない、子ども達にもさせたくない。平和こそ大切、幸せなことなんだ」と熱く話してくれました。私が小学生の時でした。
空の安全を守って45年、今は「区政の整備士」として
1974年に静岡県の私立自動車工業高校を卒業。「やがて飛行機が庶民の乗り物になる時代が来る」と思い、全日空に就職しました。以来、45年間、羽田空港で航空機の整備士として働きました。
わずかなミスも許されない仕事
重さが200トンもの航空機を安全に飛行させるためのエンジンの整備は、わずかなミスも許されない大変厳しい仕事です。特に私が担当した仕事は、超精密なエンジン部品の特殊溶接での整備、エンジンの分解・組み立て、検査などとても高い技術が求められる仕事でした。
いつも多くの乗客や乗員の安全を胸に仕事をしてきました。安倍政権(当時)のようなデータ改善など、もってのほかです。
平和でなければ、航空機は安全に飛ぶことはできません。冷戦時代に269名の尊い命を奪った大韓航空機撃墜事件は、大きな衝撃でした。平和を願う思いは仕事を通じてさらに切実なものになりました。
反戦平和を貫いた共産党に入党
平和を目指す若者の運動・民主青年同盟や労働組合の活動に取り組む中で、戦前戦後、戦争反対を貫き通した日本共産党に出会い27歳の時に入党しました。 自民党政権が憲法9条改悪、戦争する国づくりに執念を燃やしている今、「何としても憲法9条を守り抜きたい。〝平和都市宣言〟が生きる大田区を」と決意しています。
私は、全日空労組の執行委員や航空産業の労働団体の役員などを歴任しました。「空の安全」と安心して働き続けられる職場づくりに奮闘しました。S社の航空整備士Iさんが自動車通勤中に突然死したとき、私は「過労死をなくせ」と裁判でたたかう遺族と、9年間一緒に行動しました。
エンジン工場新設の際は、「油まみれ、すすだらけの身体を洗い流して家路につきたい」との願いを会社に届け、風呂場を設置させるなど、職場仲間から信頼して頂きました。
区政を変える新たな仕事に挑戦
航空機の整備を通じて「空の安全」に心血を注いできました。同時に長年暮らして来た大田区をみると、命を大切にする区政へやりたいことがたくさんみえて来ました。
毎日、街の中で寄せられる区民の声に耳を傾け、住民の命第一の区政への転換を目指し、2019年の大田区議選に立候補。以来、日本共産党区議会議員として区民の皆さんの「いのちを守る整備士」として頑張っています。